生き延び方について話した

誕生日は、その一年、なんとか生き延びてきたことをお祝いする日だ。わたしはきょう、31歳になった。

そちこちにくらす、たいせつな人たちからおめでとうの言葉がふってきて、わたしの心をいっぱいにする。おめでとう、ありがとう。おめでとう、ありがとう。きょうだけで何回くりかえしたんだろうね。

また一年、生き延びて、また一年、きっと生き延びる。でもそれは、ぜんぜん絶対じゃないんだ。なにが起こるかわからない世の中で、よくここまで生きてきたね、よくがんばったね。これからまた、がんばろうよね。

自分なりのせいいっぱいで今を生きて、きっとたぶんそれだけでじゅうぶんだ。

 

海沿いできみと花火を待ちながら生き延び方について話した/平岡直子

まぶしくて見えない。

空気が春めいてきて、ひさしぶりに中村 中さんの「あしたは晴れますように」というアルバムをかけていた。デビュー後3枚めのアルバムで、わたしはこのCDを東京新宿のタワーレコードで買った。大学1年のころだった。インストアライブの日で、人ごみのずっと後ろ、他のファンたちの頭で見えない中さんを必死で追いかけていた。

 

2008年から2013年の5年間、わたしの記憶はおぼろがかったように曖昧で、けれど断片的なおもいでが、ひどく鮮明に、とうとつに立ち上がる。

春が近づいてくると、わたしはいつもせつない。心ぼそい気もちになって、このまま消えて無くなりたいような、いっそうそのほうが楽なような。

大学の入学式の直前に亡くなった祖父のこと。葬式に行かれなかったこと。祖母からのメールの文面を、どうして今でもおぼえているのだろう。それだけかなしかったのか、くやしかったのか。ワンルームの部屋でぼんやりと、朝の身支度をしていたこと。夢みたいにつかみどころのない大学生活と、言うことのきかない身体とこころ。持て余すばかりの情熱、なにもできないことへの焦燥。としごろの娘が抱えるあらゆることを、わたしも当然のように抱えて、鬱屈しながら東京で暮らした。

今ならもっと上手くやれるだろう、でもあのときはあれで精いっぱいだったんだって、大人になったわたしが言う。ずっとくるしくて、ずっとしにたかった気もちを、さいきんになってようやく手離せた。とても時間がかかったけれど、人間はあんがい丈夫にできている。そのことが、今ではふしぎ。

生きていてほしい人がいて、わたしはとても元気に生きていると伝えたくて、今、この現実を暮らしている。会いたい人に会えなくなってしまった世界、まるでSFだ。いつか終わりが来るのだろうか、そんなことたぶんだれにもわからないね。でも希望をもつ。あしたは晴れますようにと思いながら生きる。むかしのことを思いだしていた、あるあたたかな冬の終わりの日。

やめてよかった2021。

2021年は、始めたこともあったけれど、同時に、やめたことも多い年だった。結果それがよかったのか、わるかったのか、と考えたとき、やめてよかったな、と思えることをここにまとめてみる。

 

1.惰性

ざっくりした表現だけれど、惰性で行っていたもろもろ、をやめた。惰性で見るスマホ、惰性で繋がっていた人間関係、惰性でつかっていたお金。無駄をはぶいた、とまでは言わないけれど、惰性だったな、とふいに気づいたときに、それらをやめてみたら時間がまとまって訪れてきてくれた。その時間をつかって本を読んだり、日記を書いたり、筋トレをしたりできるようになった。無駄遣いがへった。

 

2.根拠のない買い物

またお金の話になっちゃうけれど。買い物が、とても慎重になった。無駄を増やすだけになる買い物はしないように気をつけて、なぜ必要かなぜ欲しいのか、をよく考えて買うようになった。だから欲しいと思って買うまでに、月単位で時間がかかる。でもたくさん調べてたくさん悩んで、そのもののためのお金を用意してお迎えしたものたちはどれも愛おしく感じる。せっかくだから、とか、ついでに、とかで買うものたちは、結果使わなくなってかあいそうなことをしてしまう。でも今でも衝動買いをしてしまうときがあるし、百均で豪遊することもある。まだまだ修行が足りません。

 

3.八方美人

わたしはばかなくせにプライドが高くて見栄っ張り、そしてどうしようもなく八方美人だった。誰にでもよい顔をする、誰にでも好かれる、それでよい気分になってる、安心してる。それは相手に気にいられるように、好かれるようにへらへらしているから。相手に合わせてごきげんを伺っているから。ばかなのかな、とある日思って、以来意識して八方美人をやめてみた。消耗して疲れ果てることが少なくなった。じぶんの意見をきちんと伝えられるようになった。いやなものはいやだと、言えるようになった。気の合わない人との関わりを断った。八方美人は疲れるだけで、いいことはたぶんない。もちろん礼儀とか社交辞令とか、そういうのとは別問題で。嫌われてもいいやって思えるのは強さだ。

 

こんな感じのやめてよかった2021。2022年はなにを始めてなにをやめるだろう。

今年もやめてよかったことがいくつかできればよいな、と思う。

2022年の暮らし方。

身なりをととのえることの大切さを痛感する今日このごろ。おしゃれとか、そういうことではなく。身ぎれいにしておいたほうがわたしはじぶんが機嫌よくいられるんだなって気づいた。

定期的に美容室に行くとか、ほつれてない・毛玉のないきちんとしたお洋服を着る、とか。プチプラのお洋服でもケアをしっかりすれば長持ちする。背伸びしてハイブランドのものを買う必要はなくて。すきなら、買えばよいと思うけれど、わたしはブランドに詳しくないので。そこは無理しなくてもいいかな、と思う。

どちからといえばコスメより服に興味があって好きだということにも気づく。可愛いお洋服をみると、ときめく。着てみたいな、とおもう。

もちろんコスメもすきだけれど、わたしの場合コスメというよりスキンケアや身体そのもののメンテナンスにちからを入れた2021年だった。今年も、継続したい。

日々を穏やかに機嫌よく暮らす。じぶんが心地好くいられるように。

2022年はそんな一年にしたい。

ありがとう世界

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とうとつに、むかしのもろもろ、を思いだして羞恥に見悶えていた。とんでもなく些細なこと、どうしようもなくくだらないことばかりしてきたなあと思う。恥ずかしげもなく。でも、当時はそれが精いっぱいだったんだよな、とも思うのだ。

わたしは、たぶんわたしは、わたしが世界でいちばん不幸で、かあいそうな人間でありたかったんだろう。つらいね、しんどいね、かあいそうだねって言われることで、じぶんの中にある黒くてどろどろした感情の上澄みを、必死で掬い上げようとしていた。そう言われることでああわたしはかあいそうなんだそういう立場なんだって、思って、現実より数歩後ろを歩くことができた。そしてそれは何よりの安堵をわたしにもたらした。

いまはもう、じぶんのことをちいともかあいそうだとは思わない。不幸だとも思わない。生きてれば、苦しいこともつらいこともあって、むつかしい壁にもぶっつかって、でも、生きてるじゃん、それだけでエラいじゃん、って、思えるようになった。誰にも、かあいそうだと言われなくても、へいきになった。

心が、ずいぶんと軽くなった。

幸いにしてわたしは周囲の人々に恵まれている。いろいろあったけど立ち直れたのはわたしのことを必死で支えてくれた人たちのおかげで、わたしはただぼうぜんと突っ立ってただけだ。とほうもない暗闇の中で。

羞恥の具体を書こうと思ったけどあまりの恥ずかしさにゆびが止まったので、ここまでにしておく。

わたしはいま、幸福であること。ほんのすこしもかあいそうではないこと。たくさんたくさん傷ついて、傷つけて、いまがあること。ちゃんと噛みしめて生きていこう。

ありがとう、わたしの世界。

ゆうぐれ、しょっぱいお味噌汁。

思えば実家というものが、ちいさな虚無の集まった単なる箱(あるいは、檻)に過ぎなかったことに気づいたときにはわたしはすでに実家を出ていて、低収入ながらまあ働いていて、一人で、生きていて、たぶんにその件についてはもう、苛まれる必要はないのではないかしらと思われる、そんな年ごろのゆうぐれ、出し汁にお味噌を溶いている時分、ふいに背中に重たく、ひやっとしたつめたいものが上っていった。キッチンには細長い窓がついていて、そこから遠くに小学校の建物の、汚れた壁が見えた。短すぎる秋の終わりの、とても寒い日。

実家のもろもろの問題、について、詳細を文章に起こしたことはなかったように思う。そのことを夫に話したら驚かれた。わたしは夫と主治医には実家の諸問題を話していたし、それにたいする意見ももらっていた。わたしがものを書くのがすきで、だから、とっくにいろいろを文章にして書いているものだと、夫は思っていたのだろう。

でも実際は、そのことについて書こうと思ったことはなかった。思いだすのがいやだったし、現在進行形でつづいている問題もたくさん、ある。むかしの問題が終わったかと胸を撫でおろしたつぎの瞬間にはあたらしいなにかが噴出していて、あーあ、ため息は尽きない。

わたしは10代20代のころ、非実在のキャラクタたちにひどく執着して、かれらかのじょらを題材にした物語をたくさん書いてきた。それで、家族間に発生した軋轢、それにたいする葛藤、しんどさを、どうにかこうにか紛らわしてきた。命綱のような存在だった。あいしていた、と言って過言ではなく、なんなら今も、あいしている。かれらかのじょらがいなかったら、わたしはとうに自らいのちを絶っていたと思う。

オタク気質でよかったな、と、今でも心底思う。30代に入って、いくぶんかおちついたけれど、でもオタクは気質だからだぶんいっしょう、わたしはオタクなんだろう。創作したりしなくなっても、根っこの部分がもう、変わりようがないのよ。

 

話がそれた。

 

それで、実家のもろもろ、めんどうのくさいいろいろが、いまもあって、それがひどくしんどいこと、せっかく逃げ出したのに、変わらずさいなまれつづけている現実。

嫌いになれないんですと主治医には話している。だからより、しんどくなる。いっそう心の底から憎めたらよかった、見切れるならよかった。これだけ傷つけられてわたしは、実家のこれからについて考えを巡らせている。実家のこれからを担わなければならないと、頭の片隅で思っている。

実家のこれからについて考えなければならないのかしらんと、思えばむなしい。わたしが。なぜ、わたしが。

でも、わたし以外にあてになる人がいないのだもの。わたしは三人姉妹のまん中で、姉と妹がいるけれど、人一倍家族にたいする執着がつよいように思う。わたしがなんとかしないととずっと思って生きてきた。これからのことも、もちろん。

疲れるなあ、しんどいことだなあ。刻々と変わってゆく家族のすがたを見るのが、わたしにはとても疲れるし、しんどい。同じように感じる人がほかにもいるんだろう。きっとこの年ごろの人は、誰しも通る道なんだろう。それはわかる。でも。

わたしたちはすっかり癒着していて、離れられないでいる。これは、ひどく不健康なこと。わかる。でも。

 

 

うす暗く沈んだ気もちで窓の外を見ると、いつのまにかすっかり夜になっていて。小学校の建物にほのかな灯りがともっていた。

味見をしたお味噌汁は、いつもより少ししょっぱかった。

癒しとなるものもの。

さいきん、アナログの日記のほうをあまり書けていない。手帳にもうけた一日一ページの日記、その日の出来事をかんたんに書くただそれだけのことすら億劫に思えて、ああ余裕がないのだなと思う。それはそれで、読みかえしたときに、そういうコンディションだったんだろうなと思えて、まあよいのだけど。

つねになにか疲れのようなもの、があって、なにかに追われるようにして日々を生きてる。8月という月は疲れやすいのかもしれない。おもうことが、たくさん、あって、かなしくなったり泣きたくなったりして。Coccoのお手紙にもあった、「想いを馳せることすら疲れた」って。わたしも、なんだかそんな気がするのだった。

一旦、ちょっとやめようかな、と思う。考えることも、おもうことも。なんだかひどく疲れてしまって、どうせそのうちまた、いやでも考えたりおもったりしなきゃいけないのなら、いまこのときくらい休んでもよいのではないかしら。

とりあえず、おうちの中をととのえようか。このごろきゅうに寒くなってきて、あたたかいお茶を飲むようになったから、ミルクパンや急須をそろえたい。うつくしい器も。ちょっとずつ、日々を暮らしやすいように家をととのえること。それがたぶん、癒しになるから。そうしているうちに心が元気になるだろうから。

そういえば積読ばかりあるのにまた本を2冊買ってしまった。まあ、のんびりやっていこう。