眠れずに迎える朝は心細い。

それなりに疲れてきているのかもしれない。

朝、パソコンをつけて、なにも映っていない画面――もしくは、なにがしかのネットの――を、ぼうっと眺める。パソコンで何をするかといえば、ずっと考えていた夫へのプレゼントを注文・購入するくらいで、特にないのだけど、なんとなくの惰性。あまりよい習慣とは思えない。思えないのだけど、スマホは目がひどく疲れるし、パソコンでいろいろの情報を見たりぼんやりSNSを眺めたりする無為な時間が必要なときもあるのだと思う。

台湾のオードリー・タン氏がなにかの雑誌で仰っていたのだけど、タブレットを扱うとき、オードリー氏はタッチペンを用いるのだという。直接ゆびで画面を操作すると、機械(タブレット)とじぶんが一体化してしまって、心身によくないのだそう。(細かい内容は忘れてしまったけれど、大意はそうだったと思う)

パソコンは、わたしとインターネットの世界とのあいだに、かろうじて境界線をつくってくれる。スマホでネットをみるのと、パソコンでネットをみるのとでは、たしかに使ったあとの疲労度がちがう。気がする。

だからといってパソコンを長時間見つづけてよい理由にはならないのだけど。

ここ数日、あまり質の良い睡眠がとれていなくて、暑かったり涼しかったり、湿度が高かったり、気圧が落ちていたり、そういった気候の変化にからだがついていかない。日中のすき間時間で、短時間の瞑想したりしてバランスをとっているのだけど、果たして。

眠れない夜、ひさしぶりに歌集をひらいて、ぽつぽつと歌を目で追った。弱っているとき、歌は、やはりわたしにやさしかった。