ゆめだとか

たばこをやめたら、時間の流れがゆっくりに感じるようになった。「倦怠は時間を噛み煙草に変える」とシオランは言ったけれど、ほんとうにそうだな。これまで積み重ねてきた5分が、いったいどれほどになるのか想像するとおそろしい。とはいえ昨今の嫌煙ブーム(一種の集団ヒステリィ?)にはいいかげん辟易しているのだけど。

今月から新しい職場で働いている。半日勤務のパートだけれど、いまの体力等をかんがえると妥当な気がする。長いながい人生を生き抜くために、一時的にでもこういった余裕はひつようなのかもしれない。

ゆめや希望について、話をきかれることが多い。あなたのゆめは? 将来の目標は? ――まるでなにもしらない娘に問うような声音で、わたしはへらへらわらって肩をすくめてみせる。

具体的なゆめと希望がある。達成するためになにがひつようなのかもわかっている。学生のころ、勉強がすきで成績がよかったことは、わたしにとって財産であるとこのごろとみにおもう。勉強のやり方をしっているとゆうのは、それだけで武器を一つ手にできているとゆうこと。

武器を錆びつかせないように気をつけなければならない。

スケジュール管理と体調管理とをスマートにこなしたいのだけど、中々むつかしい。できないくせに並行して色々をやりたがってしまうので、どんどんと消耗してゆくのだ。仕事ようのスケジュール帳を買って、勉強&プライベートようのスケジュール帳とわけようかな。試行錯誤しつつ、じぶんにあったやり方を模索したいところ。