『夏物語』を読んで。

川上未映子著『夏物語』を読み終えた。

もう、この作品は、作品の中でこれ以上言葉を尽くすことができないもので、そしてわたしは、きっとこの作品を命が潰えるそのときまで、ふかく愛するのだろうと思う。

ほかのひとの意見や感想をいっさい見たくなかった。ほかの誰にもこの作品を渡したくなかった。たとえば十代の終わりに太宰治の『斜陽』を読み、「わたしがここにいる」と感じたときのように。

ひどい感傷だ。でも、抗えなかった。

『乳と卵』がだいすきで、その物語から大きく展開された今作に、わたしはひどくうちのめされた。わたしの抱えていたどろどろとしたなにか、を、川上さんが物語として表現してくれた。とんだ勘違いなのだけれど、本気でそう感じた。

読み終えてから数週間が経ったいまでも、『夏物語』の気配は消えない。夏子が、巻子が、緑子が、生きてる。それぞれの幸せを求めて、それぞれの生活を送っている。

いのちを繋いでゆくことの、暴力性。でも、もしかしたらあるかもしれない”幸せ”。

夏子はあのあと、どうなってゆくのだろう。繋いだいのちに幸せのバトンを預けられるのだろうか。それは世界が、わたしたちの生きているこの世界の、無事をねがうこと。

大丈夫とはだれにもいえなくて、でも大丈夫じゃないともいえなくて。

だからきっとすべてのいのちには、意味がある。わたしは、そう考えている。