いつかぜんぶが大丈夫になる。

「あなたは恵まれているのだから」。一時期通っていたカウンセリングで、担当の相談員にまじめな顔でそう言われたことがある。

県が管理している施設で、相談は無料だったので一年くらい、通った。夏の終わり、秋のはじまりのころだった。わたしは苦笑いを浮かべるしかできず、それを最後に通うのをやめた。

そもそも他人に頼ろうとしたわたしが浅はかでばかだったのかもしれない。甘ったれだったのかもしれない。いろいろと考えて、考えていたら、涙がでてきて止まらなくなった。

けっきょくね、自分次第なんだよね。

律儀に病院に通い、医者と会話をして、処方通りの薬を服み、体と心を休めて、嵐が過ぎ去るのを待つ。その間に自分にできる最低限のことをする。朝起きて夜眠る生活をこなす。ただそれだけ。

いま通っている病院のDr.はおちついていてクールで、よけいなことを言わない。よけいなこと、というのは、奇妙な慰めやおしつけがましい意見、など。わたしのペースに合わせてくれる。わたしの生活を見守ってくれる。それが、わたしをひどく安心させる。

 

「あなたは恵まれているのだから」。だから? なんなのだろう。たしかに食うや食わずの生活をしているわけでもない、でも、だから? 餓えてないことが幸福、だとは限らないのに。

恵まれていることなんてじぶんがいちばんよく知っている。そうじゃない、そんなんじゃなくて。

なにも言えなかったけれど、ほんとうは、言いたいことがたくさんあって、

でもなにも言わなかった。大人だから、がまんをした。もうとうに、大人になっていたから。

 

人を信じたい。Dr.のことは信じてる。パートナーのことも。友だちたちも。そしてじぶん自身のことも。

わたしはわたしでしっかりと、この二本の脚で立っていたい。ぶざまな、醜い、O脚の脚だけれど、地面を踏んで立つことはできる。

いつかぜんぶが大丈夫になる。そう信じている。