ゆうぐれ、しょっぱいお味噌汁。

思えば実家というものが、ちいさな虚無の集まった単なる箱(あるいは、檻)に過ぎなかったことに気づいたときにはわたしはすでに実家を出ていて、低収入ながらまあ働いていて、一人で、生きていて、たぶんにその件についてはもう、苛まれる必要はないのではないかしらと思われる、そんな年ごろのゆうぐれ、出し汁にお味噌を溶いている時分、ふいに背中に重たく、ひやっとしたつめたいものが上っていった。キッチンには細長い窓がついていて、そこから遠くに小学校の建物の、汚れた壁が見えた。短すぎる秋の終わりの、とても寒い日。

実家のもろもろの問題、について、詳細を文章に起こしたことはなかったように思う。そのことを夫に話したら驚かれた。わたしは夫と主治医には実家の諸問題を話していたし、それにたいする意見ももらっていた。わたしがものを書くのがすきで、だから、とっくにいろいろを文章にして書いているものだと、夫は思っていたのだろう。

でも実際は、そのことについて書こうと思ったことはなかった。思いだすのがいやだったし、現在進行形でつづいている問題もたくさん、ある。むかしの問題が終わったかと胸を撫でおろしたつぎの瞬間にはあたらしいなにかが噴出していて、あーあ、ため息は尽きない。

わたしは10代20代のころ、非実在のキャラクタたちにひどく執着して、かれらかのじょらを題材にした物語をたくさん書いてきた。それで、家族間に発生した軋轢、それにたいする葛藤、しんどさを、どうにかこうにか紛らわしてきた。命綱のような存在だった。あいしていた、と言って過言ではなく、なんなら今も、あいしている。かれらかのじょらがいなかったら、わたしはとうに自らいのちを絶っていたと思う。

オタク気質でよかったな、と、今でも心底思う。30代に入って、いくぶんかおちついたけれど、でもオタクは気質だからだぶんいっしょう、わたしはオタクなんだろう。創作したりしなくなっても、根っこの部分がもう、変わりようがないのよ。

 

話がそれた。

 

それで、実家のもろもろ、めんどうのくさいいろいろが、いまもあって、それがひどくしんどいこと、せっかく逃げ出したのに、変わらずさいなまれつづけている現実。

嫌いになれないんですと主治医には話している。だからより、しんどくなる。いっそう心の底から憎めたらよかった、見切れるならよかった。これだけ傷つけられてわたしは、実家のこれからについて考えを巡らせている。実家のこれからを担わなければならないと、頭の片隅で思っている。

実家のこれからについて考えなければならないのかしらんと、思えばむなしい。わたしが。なぜ、わたしが。

でも、わたし以外にあてになる人がいないのだもの。わたしは三人姉妹のまん中で、姉と妹がいるけれど、人一倍家族にたいする執着がつよいように思う。わたしがなんとかしないととずっと思って生きてきた。これからのことも、もちろん。

疲れるなあ、しんどいことだなあ。刻々と変わってゆく家族のすがたを見るのが、わたしにはとても疲れるし、しんどい。同じように感じる人がほかにもいるんだろう。きっとこの年ごろの人は、誰しも通る道なんだろう。それはわかる。でも。

わたしたちはすっかり癒着していて、離れられないでいる。これは、ひどく不健康なこと。わかる。でも。

 

 

うす暗く沈んだ気もちで窓の外を見ると、いつのまにかすっかり夜になっていて。小学校の建物にほのかな灯りがともっていた。

味見をしたお味噌汁は、いつもより少ししょっぱかった。