変容、順応、適応、呼応

家事がすきなんだなあと思う。朝から晩までなにかしら家のことをしている。家仕事をしていると気持ちがおちつく。掃除をして、洗濯をして、音楽をかけながらごはんを作って。誰しも行っている生活のルーティンを滞りなく行えるとじぶんにもある程度の価値があるような気がしてうれしくなる。家事がすきだ。

noteに登録したので日記もそちらに書こうかと思ったけれど、はてブロのほうがしっくりきたので日記はこちらに書くことにする。noteはあくまでフィクションのお話を載せてゆきたい。と言って統一感は出せないかもしれないけれど(気まぐれなので)。

通院日だった。さいきんは気持ちがおちついているのと通院の負担軽減のため、3週間に一回にしてもらっている。というか、自然にそうなっていった。Dr.はあいかわらずクールだしわたしも必要最低限のことしか話さないから診察は3分くらいで終わる。お薬も変わりなく。わたしは今の主治医を信頼しているので特に文句はない。

きょうは風がつよくて、すこしつめたかったので上着を羽織った。行きも帰りもずっとあいみょんを聴いていた。去年のいまころ、ずーっとアルバムを流していたのでなつかしい気持ちになりつつ、やっぱり初期のミニアルバムはサイコーだなとか思う。(さいきんのがだめというわけではない、本人がよければそれでよいのではないかな)

そういえばGWだった。わたしも夫も家でできる趣味を持っているからstay homeを守りながら生活できた。

 

村田沙耶香著『生命式』を読む。すでに多くの人が感想を発信しているのでわたしが書くことなんてないなあと思いつつ、村田ワールドにはあいかわらずくらくらさせられる。

グロテスクな描写も視点を変えれば日常なんだ。わたし達は多面的な一部分しか見て生活をしていない。繁った葉に隠された鳥の死骸がほかの鳥に食べられているのを知らずに、枝に咲いている花をきれいだねと思ったりする。村田沙耶香はそういうものを感じる感覚がずば抜けて鋭くて、だからこんな世界を生み出せるのだろう。

『消滅世界』『殺人出産』『タダイマトビラ』に通じるもの、喚起させるものもあって、一冊でいくつもの村田ワールドを楽しめる短編集だ。

 

今夜は揚げ出し豆腐をつくります。