ミルクティー、夜と朝のまにまに。

わたしはわたしのことをほんとうに見てくれる人のためにものを書いたり写真を撮ったりしたい。

わたしはただの一般人で、趣味で歌を詠んだり写真を撮ったりしている。ぜんぶが趣味で、自己満足で、なぐさめの行為に過ぎない。新聞歌壇に投稿したり、twitterに歌を流したり、写真を載せたりすることが、わたし自身を癒し、なぐさめてくれるから、している。

わたしはわたしのつくったものを、それなりに愛している。でもそれはただの愛着で、執着で、ねばねばした粘着質な気持ちからなるものかもしれない。わたしがとてもウェットな人間なのは自覚しているので。

instagramをやめた(正確にはやめてはいない、ログアウトしただけなのだけど)のは、じぶんの撮った写真を、ああいう場所で見てもらうのに違和を感じたからです。あとは単純に、すこしあたまに容量をつくりたい、という気持ちもあった。ようするに、キャパオーバーだった。

 

さいきん、わたしはパートナーとふたりで、静かに穏やかに年を重ねてゆきたいな、とつよく思うようになった。むかしから思っていたけれど、このごろ特に。仕事を始めて、まあまあ神経をつかって疲れてきているからなのかもしれない。

ふたりのあいだには誰のなにの介入もいらなくて、ただ流れてゆく時間だけがある。甘いとか辛いとかではなくて、真水のようにすきとおっていて、純度の高い時間。そういう生活は、わたしをきっとひどく安心させるのだろうと思う。

守りたいものが壊れるのがこわくて閉ざしてしまうのは、よくないけれど、ドアを開けっ放しにしておくわけにもいかなくて。

そんな時間のなかで、本を読んだり日記を書いたりしながら、すきに歌を詠んで生活を記録して、って、できたならそれで幸い。

 

眠れない夜にはミルクティー

夜のスキマにkiss 投げてよ、て、フィッシュマンズがうたってる。